溢れ出る負債
私は毎日朝に風呂に入り(正確にはシャワーだけがほとんど)、そこで気持ちを整えています。 いわゆるこれが私のルーティーンで、スッキリしたいときは何度でも風呂に入ります。
すっきりしないシャワー
今日の1日の始まりもシャワーです。昨日から薬も飲み始めたのでスッキリしたいなと思いいつものルーティーンへ。 ところが全然スッキリしない。 気持ちが下がりっぱなしでどうにもならない。いつものルーティーンが通用しなくなるぐらいにはダメになってるっぽい。
負債の大きさ
私は常にストレスを貯め込むので今になって放出されているっぽい。 ストレス解消という手段がこれといってないのも問題である。 お酒を飲む、寝るなどでストレス解消ができるという人はとてもうらやましい。 なぜかというと、そんなことをしてもストレスの発生源が消えるわけではないからである。 なぜ、それをみなストレス解消といって行動に移すのか全く理解できないし、とてもうらやましいなとも思う。
自律神経失調症
になりました。
通っているメンタルクリニックへ
約1年半ぶりのドクターストップです。 メンタルの上下の波を飛行機の高度で比喩していました。 この一年ずっとやってきましたが、実は雲の高さよりも低い状態で飛んでいて、嵐や雷に巻き込まれて今に至るんじゃないかというお話が。 ドクターストップが終わるまでには、飛行機の安定高度の高さまでメンタルを持っていくのが目標。 そうすれば、外部からの刺激にも簡単に耐えれるみたいです。
会社の総務へ
そして帰宅したあとに「ドクターストップかかった。休職の手続きと傷病手当の資料おねがい。」と頼みました。 もうこれで休職ほぼ確定です。 自分が実装している機能、もうほぼできているのですが、誰かが引き継ぐでしょう。
緊張の糸が切れた
会社にも伝えたあとに体調に変化が現れました。 すごい頭が痛くなり、そしてだるさや気持ちの落ち込みが一気にきました。 これまでのプロジェクトの不満で溜め込んだものがドバっと出てきている感じ。 初めての経験です。よっぽどためていたんだなーと。
この休職期間にやりたいこと
- まずはゆっくりぐーたらしたい 毎日ぼーっとしたいです。平日の昼から遊べる人募集中
- ゲームをしまくりたい コード書きまくってたとき全くゲームをしていませんでした。なので、そのためていたものをたくさん消化していきたい。(といいつつやろうとしているゲームは DQX)
- Unity 以外のスキルを身につける 次働くときは、エンタメ系以外を経験したいと思います。サービスだったりシステムエンジニアになってみたりと、ゲームエンジニア以外の生き方をまずは経験してみたいと思います。
- 健康第一 体重が86.0kg(これでも先月よりは3kg減ってる)なので、68kg までに減らしたい。それと同時に、エンジニアは体が資本なので、筋力も鍛えていきたいと思います。
- 芸術系スキルを磨く 作曲を復活させつつ、絵を始めてみようかなと。 自分の気持ちを放出させたいと思います
傷病手当を貰える期間は1年残っています。その間にこれらのことをやって、そして復活したいと思います。 そのときは、気合を入れすぎないで仕事に向き合っていきます。(気合いれすぎると燃え尽き症候群を起こすことがわかったので)
私はスーパーマンではない
エンジニアになるにあたり、自分なりに一生懸命やってきました。 仕事も勉強も。 この3年、スーパーなエンジニアになるために頑張ってきました。 むしろ頑張りすぎました。
何から何まで未知の体験
プロジェクト最初期は、UIまわりを作るエンジニアは私一人だけでした。 設計・実装まで全部一人。いままでは部分部分をつくるだけでしたが、アプリの根幹を1からつくりました。 そのために、基盤づくりを行ったり、設計を1からしてどのようにしたら拡張しやすくなるのか、何から何まで未知の体験でした。 その状態が4ヶ月ぐらい続きました。
正直、現在の設計でクソなところは結構あり、ミスったなと思うところも結構あります。 周りからも言われるのは仕方ないですが、やっぱり他の人に言われるのはしんどい。
いろんなことが積もり積もって、今年の1月ぐらいから来たように感じました。
やる気がなくなる
今は何もやる気が起きなくなっています。 ゲームすら億劫、プログラムを家で書くのも言語道断。現在では、仕事に行っても頭がぼーっとして全然働かない。 どうにかがんばってコードを書いている状態。 正直同じ人だとは思えないぐらいには劣化しています。
普通な人がスーパーになろうとは思わないほうがよい
普通な人はスーパーマンになろうとは思わないほうがよいと思います。 正直、精神力・体力が並大抵の人とは全然違います。この1年で学びました。 スーパーマンは本当にいつ寝ているのかわかりません。マジですごいです。 そんな人の真似はやめましょう。すぐにバテます。
普通な人でも需要はある
この前職と現職の1年半で学んだことは、上には上がいるが、下には下もいるということです。 コードをそれなりに整理して書くことができるだけでも、結構すごいことなんだなとわかりました。 また、実装力も人並みにはあるほうとは思っています。
これからは
もう疲れました。 1年間突っ走ってきた自分を褒めたいと思います。 どんなやめ方をしても、自分なりに頑張ってきたと思います。 エンジニアのスキル差は半端なく大きいです。そのスーパーなひとと比較してしまうとすぐに死にます。やめましょう。
適応障害で傷病手当をもらうのか、はたまた別の場所に転職するかはわかりませんが、今の職場は少なくとも来月には辞めようと思います。
心の隙を突くマルチ商法
東京に来てすぐのお話です。 沖縄で付き合っていた彼女と別れ、東京でもそういう出会いを求めていました。 マッチングアプリを使って4人の女性と出会うことができました。 そして、そのうちの4人がマルチ商法をしている女性でした。 当時はコーヒーは商材として流行っていました。
とまぁ、マルチ商法をしている人と話をしたときの感想でも記しておこうかなと。 ここでいうマルチ商法の人は、多分末端のひとたちだと思われますが・・・
マルチ商法をしている人の特徴
- 自分に対しての自信がない
- 自信がないのか自分の話を全くせず、○○さん(当然知らない人)の話ばかりをする
- ホームパーティーなどをして人とのつながりを求めている
- マッチングアプリにて、女性から連絡先を聞いてくる(俺だけ?)
- マルチ商法だけど、マルチ商法と頑なに認めない
- 絶対に数百名規模のパーティーの写真が LINE or Facebook にある
- 「将来は独立するんだ」<- 具体的な内容がない
まぁ、本人たちは幸せそうですけどね。
知らない土地に来るのはとても大変で、とても心細いと思います。 そこを突いてきているんじゃないかと思うぐらいには、マルチ商法をしている人たちって人のつながりを求めている気がしました。 こういろいろ記述して思ったことが、意識高い系の大学生とあまりかわりがないですね。(ブーメラン)
新入生や新入社員へ
そろそろ4月になるので、大学に通ったり、新社会人としての一歩を歩むと思います。 意識高く「よし!がんばるぞ!」と思っていると思いますが、どうかマルチ商法やねずみ講などの足に踏み入れないように気をつけてください。
あなたが心の隙(自分に自信がない、やりたいことがなくてもやもやしているなど)を見せた瞬間に近寄ってくるかもしれません。
私はそんなに隙があるように見えたのかな・・・ 多分ですが、沖縄から上京したばかりってことを書いていたので、それで狙われていたのかもしれません。
「燃え尽き症候群」と「頑張らないこと」
社会人3年目(4月で4年目)で学んだことです。
頑張り過ぎたら燃え尽きます。
今いるプロジェクトは去年の2月から従事しており、そして1年が経ちました。 立ち上げ初期からリリースまでの約半年間、ぶっ続けで働いていました。 平日にコードを書き、土日も自分のコードを書きそれをプロダクトに入れたりと、今いるプロジェクトの開発のことをずっと考えていました。 リリースしたときの達成感は素晴らしいものでしたが、それと同時に自分の存在価値がわからなくなって今生きています。
正直、「リリースしたからもういいかな」という気持ちで今も働いています。完全に心折れていますね。 特に今年に入ってからはメンタルが全体的に不安定になっており、さらに仕事の面にも悪影響を及ぼしているのかなーとも感じています。いや、仕事はちゃんとやってますよ。
どうやらぶっ続けで働ける人と、働けない人がいるっぽいです。ぼくは働けない人ですね。 ぶっ続けで仕事をやった反動で、今は家でコードを書きたくない(というかゲームがしたい)と、その頑張ってた期間とは正反対のことをしています。
そろそろ転職も考えていますが、今後は「頑張らないこと」をテーマにして働きたいと思います。 目的に突っ走っているときの自分は、フルパワーで頑張ることができます。平日も土日も関係なく、フルパワーで。 ただし、いつかは燃料が切れます。その燃料を補充しているのが今の期間なのかなと思っています。
みなさんも、仕事が楽しいと思ってフルパワーを出して向き合っている人もいると思います。 ただし、頑張りすぎないでください。 半年頑張った結果、数年間働けないみたいなことが起らないことを願っています。
ということで、 Unity エンジニアとして転職募集中です。 勤務地は東京で、希望年収は 750万円以上です。 あまり身バレしたくないので、今までの経験等は直接連絡していただければ幸いです。
みんな同じポーズで写真を撮ることをやめてほしい
企業とかの集合写真でよく見かけるやつです。
ある会社は、みんなで会社名に入っているアルファベットの文字を手でつくったり、 ある会社は、みんなでよくわからないポーズをしたり・・・
やめませんか?
正直気持ち悪いというか、宗教チックなものを感じてしまい、その写真をみた瞬間「うわぁ・・・」と血の気が若干引きます。 なんだろう、同調圧力を求められている会社だなって思うので、そういう会社には(個人的には)行きたくないなって感じます。
やっていることって、江戸時代のキリスト教迫害のためにやった「踏み絵」と同じレベルのものなのかなーと 多分、そういうポーズを求めている人たちって、無意識にやっていると思います。
長いものには巻かれたほうがいい人には、忠誠心を表すためには楽なのかなー
今、どこの企業が潰れてもおかしくないこの世の中、企業への忠誠心なんて気持ちは捨てて、自分がいかに輝けるか、どのようにステップアップしてこの企業を踏み台にしていくかが大事だと思っています。 そういう意味ではエンジニアをやっていてよかったなと思います。それなりにできていれば、簡単に転職できますしね。
そういう「同調圧力」を求められると、別のところに行きたくなりますよね。 そういうのを求められても正直つらい。
愛着障害を克服したい
愛着障害~子ども時代を引きずる人々~読了
感想
自分自身に思い当たることがたくさんありすぎて、正直読みながらめちゃくちゃ苦しいなと思いながら読んでいました。 愛着障害にも種類があり、それぞれの種類によって、対人関係や個々の考えにどのように影響を与えるのかを解説しています。また、実際の偉人も愛着障害として認定できる人が結構いて、その実例をあげながら実例をあげているので理解がしやすくなります。
ただ、あまりにも偉人の紹介(実例)が多すぎて、正直途中でダレました。その偉人のバックボーンから解説したりするので、偉人の実例がこの本の半分を占めていたんじゃないかと思います(体感)
愛着障害について理解を深めようとしている読者にはいい本かもしれませんが、愛着障害に悩んでいる当事者が読むと、正直ページ数稼ぎではないのかと思うぐらいには分量のかさ増しに感じる本だったなと思いました。 1/3 読み終えたぐらいからは、偉人の名前が出てきたら基本スルーで。
本を読んだあとにこれまでを振り返って
どういうところが思い当たったのか
親に認めてもらうため、いい顔をする部分が特に響きました。
沖縄の長男として生まれ、親戚の中でも一番はじめの子どもであり、一番期待をかけられていたと思っています。 名前も知らない親戚や親の友人など、小さい頃からたくさんの人に初のこどもとしてたくさん接してきました。 そのおかげか、私自身は人見知りをすることがない性格となりました。
昔からですが、地方ではこどもの期待の言葉として「立派な公務員になれよ」とよく言わました。(これは沖縄だけじゃなくて他の地方もだよね?) 親や親戚、大人から言われることを忠実に守る子が良い子であると自分の中で解釈していていました。
ただ、このときから悪い癖もついています。 大人に合わせることを子どもながらにしていて、空気を読んで、自分がどう動けばうまくこの場が回るのかを常に考えていました。 そのようなこともあったからなのか、私は反抗期も特にありませんでした。
いわゆる「良い子」をしてきました。
高校時代に爆発
このときからメンタルがおかしくなったことを今でも覚えています。 たくさんの女性に「愛」を求めていました。 当時は、親から「無償の愛」を受け取っていなくて、「良い子であることで受け取れる愛」と思ってすごしていたんじゃないかと思います。
克服方法
この本に書いてあった目次から抜粋
安全基地となる存在 幸いにも、少人数ながらこのような存在が居ます。 なんでも話せるような友人はとても貴重です。 東京でなかなか友人ができなくて悩んでいますが、唯一のなんでも話せる友人もできたのでなんとかなるのかな
傷ついた体験を語り尽くす
- 過去との和解
- 自分が自分の親になる このブログがこの3つの役割になるのかなと思います。 もちろん、話しにくいことも結構ありますが、特に隠すつもりはないので、語るべきときが来たらブログに書くと思います。
読了したあと、愛着障害をどのように克服したかインターネットで調べてみましたが、引っかかったものを引用。
そこで結論。「愛着障害」を克服するには。祈り。祈りしかありません。祈って、祈り続けて、祈りに没頭する。これが「宇宙」から抱かれることを実感する最大の秘訣です。
最近安全基地となる人から「祈り」という言葉を耳にしました。まさか愛着障害で「祈り」が出てくるとは思ってもいなく引っかかりました。
正直、この「祈り」は自分でもまだ噛み砕くことができなくて、どのように説明したらいいのかわかっていません。
ただ、少なからず言えることは、今生きていること、「自分自身が生かされている」ではなくて、「自分自身で生きている」ことを毎日感謝することで、今の自分を見つめ直すことができるようになるのかなと思っています。
そういう意味でも、このブログを書き続けることが、自分が生きているという証になり、これからの人生をより良くしていく行動として「祈る」ことをしていきたいと思います。